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中國人にとって俳句は難解か

2019-05-06 14:58:16

俳句は、中國人にとって確かに難解である。

限られた17音で瞬間の感動や意象を捉えて表現しているので、多くの言葉が省略されている。「省略の文學」と言われるゆえんであろう。

正岡子規の名句に、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」というのがあるが、今は亡き日本文學研究者の李芒氏は名訳「方啖一顆柿,鐘聲悠婉法隆寺」という中國訳を殘している(意味は、今し方柿を食べると、法隆寺の鐘が遠くまで鳴り響いた)。

しかし、中國の読者がこれを読んで、まず疑問に思うのは、なぜ柿(晩秋の季語)を食べたら法隆寺の鐘が鳴ったのか、リンゴではいけないのか、ということだ。こう思うのが一般的で、かえって日本人のことを不思議に思うかもしれない。日本人なら、この句からだんだん深まる奈良の秋の気配を感じ取り、いろいろ連想をふくらませるに違いない。ましてや、柿が好物の子規が柿の産地——奈良へ來て柿を食べないという手はなかろう。しかし、中國の一般の読者にそこまで理解してもらうよう要求するのは無理な話だ。

次に、蕪村の名句「易水にねぶか流るる寒さかな」だが、これは漢詩文の教養を背景とした空想上の作であると思われる。出典の『史記』によれば、秦の國の圧迫を受けた燕の國の太子丹は、始皇帝を暗殺するため壯士荊軻を派遣した。荊軻は易水のほとりより旅立つに當たり、「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。(風蕭蕭として易水寒し、壯士一たび去りてふたたび還らず)」と吟じたと伝えられている。

易水は中國の河北省を流れる川であり、漢文の素養のある日本人なら、蕪村のこの句を読んで頭に浮かぶ光景は、「風蕭蕭として易水寒し」の詩句によって名高い易水には、今日も冷たい風が吹きすさんでいる。ふと見ると誰か上流で流したらしいネギが、川面に浮きつ沈みつ押し流されている。そのネギの青白いつややかさに、ひとしお厳しい寒さを感じることである——ざっとこんなものではないだろうか。

しかし、中國の読者が詩人?林林氏訳の「青蔥漂流去,易水今猶寒」を読んで、日本人のような感じ方をするかどうかは疑問だ。なぜなら、中國人は日本人のように、「ねぶか」――ネギから寒々とした感じを受けないから。現に林林氏はこの句について論じたとき、「蕪村は、青い葉に白い根のネギの漂流でもって、易水の寒さを引き立てているが、なかなか理解に苦しむところである」と言っている。

 

荊軻公園(河北省保定市易県)にある荊軻像と荊軻塔(寫真?籠川可奈子/人民中國)

もちろん、一昔前、中國の北方も冬になると、朝市などに新しく取れたネギが山のように積まれ、冬の一景をなしていたが、前にも觸れた通り、ネギの白い根から受ける季節感は日本人のように、寒々としたものでないため、上流から流れるネギと易水の寒さとの間にどのような內的な関係があるのか、理解が難しいのではなかろうか。これは、やはり文化の違いからくる難しさだと思う。

このように、季語の果たす役割を中國人が的確に把握するのは難しい。

季語についてはまた改めて詳しく述べるが、季語は日本文化と日本人の「心」を理解する上での重要な語彙群であり、それは単に季節感を表しているばかりでなく、暗示や象徴的な役割、さらには読者の連想を引き起こすような豊かな深い內容を含んでいるように思われる。

一例を挙げよう。

引っ越しの荷物落ち著き柿若葉(西川みどり)「柿若葉」はこの句の中で、もちろん季節を表している。日本人なら、「柿若葉」という初夏の季語から、人々をほっとさせるような安らぎと柔らかな感じを直ちに捉え、「引っ越しの荷物が落ち著く」ことと「柿若葉」との間の関係がすぐ分かるそうだが、中國人にとっては、この句の作者がなぜ「柿若葉」を「引っ越しの荷物が落ち著く」に結び付けたのか理解に苦しむところだ。また、ある日本人から聞いた話だが、季語「柿若葉」からは、人事異動の季節に多くの人が地方へ転勤するため、引っ越しが多くなることを連想するそうだ。生活環境や文化的背景などが違う中國人にとって、季語の持つ含みを日本人同様に理解することは無理だと思う。

私の考えをまとめると、俳句は俳句、中國語訳の俳句は中國語訳の俳句、漢俳は漢俳であって、しょせん別々のものであるということである。従って相互間の翻訳も「完全等値」を要求するのは無理で、「近似値」の翻訳がしばしばであることも事実だ。しかし、それにもかかわらず、日本の俳句を中國語に翻訳して中國に紹介する仕事は、今日、中日文化交流を発展させる上で重要な意義を持つものだと考える。

 

柿若葉(劉徳有氏提供)

 

柿の花(劉徳有氏提供)

 

杮の実(劉徳有氏提供)

  文化は常に互いに交流することが大事であり、「一方通行」であってはならない。俳句を例にとってみても、中國の古典詩である漢詩が日本人に知られているほど、中國人に俳句は知られていない。もちろん、俳句を中國語に翻訳して中國の人たちに紹介する仕事には長い歴史がある。遠いことはさておき、1919年の「五?四」新文化運動前後から、日本に滯在した中國の留學生や文學者は多くの俳句を翻訳して中國の読者に紹介してきた。近年になってからは、俳句や短歌の中國語訳にかなりの進展がみられるようになり、中國の読者の間でも関心が次第に高まってきている。本誌でも昨年から『節気と花 : 俳句の中國語訳』のコラムで取り上げている。俳句に対する中國人の関心度が日本に伝わり、中日両國民の相互理解の促進に役立っているのではないかと思う。

 俳句の中國語訳の方法については今のところ百家爭鳴の観がある。しかし、それがどのような方法であれ、原作者の心の世界に努めて近づき、両國人民の間に実際上存在している美意識の差異をできるだけなくし、中國語訳された俳句の形態美を保つとともに、俳句の原作の持つ深みを表現できれば、それが一番よい。

 俳句の翻訳と紹介によって、中國における俳句についての理解がいっそう深められ、日本人の心とそれにまつわる情緒、美意識が多くの中國人に理解され、しかも漢俳の創作と発展に寄與することになれば、と心から願っている。

 

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